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投資家は知っていた方が良い 地学

災害の歴史と当時のSNS

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いつも弊社のブログをお読み頂き、有難うございます。企画宣伝の森戸です。本日は、話題になっている「保土ヶ谷傾斜地の崖崩れ」に触れ、災害の話をしようと思います。保土ヶ谷の今回の崖崩れの件は、どうやら、地権者の費用負担になるそうですが、地権者にとっては想定外の費用負担です。結局、地権者もこの土地が、昭和初期に埋め立てられた丘陵地だということを多分知らずに購入してたはずです。そのような事にならないよう、購入する土地を調べる術を持っておいた方が良いと思うのです。

最近、地震や豪雨によって宅地の斜面災害が頻発していますが、これらの都市の斜面災害には、 産業革命、震災、世界大戦、高度経済成長、バブル経済とその崩壊といった、わが国の近現代史が深く関わ っています。宅地の斜面災害には、社会問題という一 面が密接に関わっているのです。一方、当然ですが、斜面災害は地学 現象そのものです。つまり、宅地の斜面災害を理解するには、理科(地学)と社会科(歴史)の両方の視点が必要とされます。

現在、わが国の勤労者所帯の8割は持ち家です。また、土地の私有は当然というのが常識です。しかし、歴史的に見る と、こうした「普通」や「常識」の始まりは、結構新 しいのです。いくつかのエピソードによって、主に江戸から東京に 至る時期の土地と斜面災害の関係を見てみたいと思い ます。

江戸時代の崖崩れ

江戸の街でも崖崩れは起こったはずですが、その具体的な状況は、今では容易にうかがい知れません。 100万人もの人々が暮らしていた江戸ですが、町人の居住区は限られていました。武蔵野台地の東の縁に相当する神田や湯島、赤坂、麻布などでは、崖下の住宅 も多かったはずです。しかし、江戸における崖崩れの 記録を調べてみても、場所を特定できるような記録は稀です。江戸市中において、崖崩れで死者が出るよう な事態は、かなり珍しい事件だったのかも知れません。 そう思わせる記述を有名な『藤岡屋日記』に見つけま した。『藤岡屋日記』は、文化元年(1804年)から 65年間にわたって、江戸で起きたことを細かく記録し続けた、いわば情報のアーカイブス。著者の藤 岡屋(須藤)吉蔵は、当時から「お記録本屋」として 知られた人物で、現代の通信社のような役目を担って いました。

さて、この日記の文化12年(1815年)の冊子には、その年の冬、薬研坂(現在の港区赤坂4丁目と7丁目 の境界の坂)に住む和田庄五郎という御家人が、自宅 裏山の崖崩れで土に埋まり、圧死したというニュース が記録されています。興味深いのは、この和田庄五郎 は、自宅の庭先にある台地の崖から土を掘りだし、売 っていたという点です。ある日、いつものように崖下 を掘り進んでいたところ、突然崖が崩れて埋まってし まったというわけです。家人もそれに全く気付かず、 しばらくして土を取り除いて彼を発見し、驚いたとい うこと、しばらくの間、江戸の街で評判になったこと を日記は伝えています。

当時、御家人は、俸禄だけでは生活できないため、 何らかの副業を持つのが一般的でした。例えば、麻布・六本木周辺のあまりにも稼げない御家人の副業は金魚の養殖でした。明治以降、養殖の為の池は、埋め立てられて、住宅地になりました。(今のテレ朝通りあたりにも昭和時代の金魚屋が多くありました。)赤坂の和田庄五郎の場合は土砂採取・販売業だったので、魔がさしたのでしょう。金を得たいが為に、過度の人工地形改変 (切土)につながり、自らが犠牲者になってしまったわけです。 この点は、現代の災害に通じるものがあります。ただし、日記の65年間を通じて、犠牲者を伴った崖崩れ の記事はこれ一つしかありません。やはり、江戸市中 では、宅地の斜面災害は稀な現象であったと思えるのです。

江戸時代にも豪雨や地震が繰り返し起きました。場所によっては、顕著な地すべり・崩壊が発生し、多くの犠牲者も出ています。つまり、山地災害は現在とあまり変わらないペースで起きていたのですが、崖崩れ被害は少ないのです。なぜ崖崩れが起きていなかったのか。その当時、崖際に住んでいる町民が居なかっただけで、崖崩れは起きていたのか。もしくは、人工地形改変が 一般的でなかったのか。色々仮説は考えられます。

ただ、一つ確かなことは、江戸時代の土地制度は、 現代とはかなり違っていて、土地の絶対的な私有が認められていませんでした。私有地制度は明治以降のことで、原則として 全国の土地は将軍(公儀)のもので、大名旗本には土 地を管理し収益を得る権利が与えられていたという管理方法でした。総体的に、土地の流動性は低かったのです。

明治維新と土砂災害

1873年、地租改正法が制定されました。 これにより、西洋にならって私的土地所有権の考え方が取り入れられました。そして個人の私有地となった土地は、 流動性を増し、担保の対象としても扱われるようになったのです。これは、資本主義体制の確立にはなりましたが、災害が増加する原因にもなりました。明治になって人口が増えてくると、東京では、深刻な都市水害が発生するようになりました。なかでも、1910年8月の関東大水害は、東京の下町に深刻な打撃を与えました。

災害絵葉書

直接の引き金は、停滞した梅雨前線と二つの台風が持ち込んだ暖かい湿った 空気です。これにより、利根川・荒川の堤防は至る所で破堤し、明治期としては最大規模の洪水が関東一円で 発 生 し ま し た 。 江 戸・東 京 で は 、1742年、1786年以来の大水害であり、埼玉県から東京都にかけての、関東 平野の低地部の大部分が水没したのです。特に、東京都北区岩淵では荒川の水位が約8mも上昇するなど、荒 川(隅田川)流域の被害が激しかったと言われていま す。

そもそも、江戸川(利根川)、荒川(隅田川)など 大河川の河口を埋め立てて発展した東京は、江戸時代 から水害に弱い土地です。さらに、明治以降の急速な近代化は、都市の集積度を飛躍的に増大させました。 その結果、江戸時代には空き地もしくは大名・旗本 屋敷の庭園であった崖下や埋立地にも多くの住宅が建ち並ぶようになりました。1910年(明治43年)の災害をより深刻にしたのは、こうした文明開化期から続く無秩序の都市計画が原因であるともいえます。

様々な災害絵葉書

この当時、多く販売されたのが、絵葉書でした。これは、災害絵葉書といって明治時代の流行品です。当時ようやく写真印刷が普及しだしたことに加え、電話が高価で、一般家庭にはあまり普及していませんでした。そのため、災害絵葉書は自分の身辺で起きた事件を故郷の家族に伝える手段として安価で有効な手段でした。現代でいえば、SNSのようなものだったかも知れません。

関東大震災 ─江戸の終焉─

1923年(大正12年)9月1日、大正関東地震が発生。M7.9と大規模で、東日本大震災以前は 最大の被害地震でした。人的被害は 甚大で、約10万5千人と言われています。被害の原因は、 東 京・ 横浜の家屋倒壊と火災でし たが、崖崩れや地すべりも発生しました。東京では、上野公園の周辺など、武蔵野台地縁辺部で、関東ロー ム(火山灰)の浅い崩壊が各所で発生しました。御茶ノ水運河では、崖際を通っていた甲武鉄道の線路が巻き込まれ、運河は崩れた土砂に埋もれました。一方、横浜では、本牧山手台地、保土ヶ谷台地の縁 辺部を中心に、市内の78箇所で崖崩れが発生し、住宅106戸が埋没か倒壊の被害を受けました。明治維新以降、 東京・横浜等で進行していた「近代的」都市建設の矛 盾(斜面災害のリスク)を顕わにしたという意義があったと言えます。

郊外住宅地の発展と崖崩れの原因

明治から昭和に活躍した、小説家でもありジャーナリストでもある菊池寛(文藝春秋を創刊した創刊者)は、当時「震災は結果に於いて一つの社会革命で あった」と述べています。実際、震災は江戸の町割の残滓を一掃し、東京が近代都市として発展するきっか けとなりました。震災後の義援金を基に設立された同潤会が、鉄筋コンクリートでハイカラなアパートメン トを建設し、一方では、今和次郎のバラック装飾社が、 斬新なデザインで街を飾りました。

モダン東京構想は、こ うして震災の廃墟の中から誕生したのです。震災後の モダンの風は、宅地開発にも大きく影響しました。以前は、ほぼ山手線の内側に限られていた東京の「山の 手」は、震災をきっかけに西側に大きく拡大し、田園 調布、自由が丘、成城等の住宅地が形成されていきました。

しかし、新たな市域には、無秩序に工場・倉庫・住宅などが進出し、今で言うスプロール化が起きてしまいました。これらの「先進的」宅地開発は、台地を刻んでいき、高密度の碁盤の目状の道路網によって分譲のための区画を作ることが目標でした。しかし、関東ローム層がつくる崖の傾斜が急すぎて、道路をまっすぐに通せないという難問が出ました。そこで、谷の多くは、 谷ごと土砂で埋められ、平坦化されました。しかし、 機械力が乏しい時代の盛土であるので、排水機能も乏しく、地盤の品質は良くありません。現在、これらの 整然とした住宅街は、高級という世間一般のイメージがあります。

しかし、実際は多数の低品質な谷埋め盛土が存在し、一部では高い災害リスクを抱え込むことになったのです。

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