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土地の価値は「歴史」で決まる!?

スマホで土地の価値を簡単に調べる方法


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いつもピカいちのブログをご覧いただきありがとうございます。

企画宣伝の森戸です。今日は、土地の歴史について考えてみようと思います。

シロガネーゼ等の言葉を生み出したブランド住宅地(「田園調布」や「白金」)と呼ばれる土地がありますが、

ブランド住宅地というのはどのように形成されてきたのでしょう。

たとえば東京には「山の手」と「下町」という呼び方があります。「山の手」という言葉には、なぜか、ブランド住宅地としての風格が漂います。

では東京の「山の手」とはどこら当りを指すのでしょう。

江戸時代に誕生した「下町」

東京は江戸時代には江戸城近辺から西の武蔵野台地に向かって切り開かれ、そこに多くの旗本や藩士が住みついていました。

江戸城の東は低地になっていて災害などには弱い構造になっていた為、武士は住まずにもっぱら町人が住む街となり、これを「下町」と呼ぶようになったのが起源。

当時江戸を流れる隅田川は、長雨ですぐに水かさが増し、農村部に被害を及ぼすということが多々ありました。

しかし隅田川全体に堤防を作るということは、幕府の予算ではどうにもなりませんでした。そこで徳川吉宗が考えたのが、川沿いに桜の木を植えることだったといいます。

 桜の木を植えると当然多くの人が集まります。そうすると今まですぐに削られていった地面が固められ、天然の堤防の役割を果たすようになり、驚くほど水害が減ったのだそうです。

全国の桜が川沿いに多いのは、こういった理由があったりその土地には何か、由縁が必ずあるのです。

明治時代になると江戸は東京府とその名称を変えます。

山の手にあった幕臣たちが住む武家屋敷の多くは接収されて、維新政府の関係者やそれを支援する財閥、文化人や資本家の手に渡ることになりました。

権力の移転は街の住民の入れ替えにつながるのです。

東京の一等地を我が物にした彼らはその地に邸宅を建設していったのですが、このことが後の高級ブランド住宅地としての「山の手」を生んだのです。

「老舗の山の手」と呼べる街とは?

さて東京の山の手は具体的にどこなのだろうか。東京府は1878年(明治11年)に府内に15の区を設けています。

区名は麹町、神田、日本橋、京橋、芝、赤坂、麻布、四谷、牛込、小石川、本郷、浅草、下谷、本所、深川の15区です。

このうち山の手と呼ばれたのは四谷区、牛込区から麹町区、赤坂区、麻布区近辺、さらに北に向かって小石川区、本郷区あたりまでを指したようです。

この時期からのブランド住宅地としては四谷、牛込、番町、麹町、紀尾井町、赤坂、麻布、小石川、本郷といった街が該当します。

これらはいわば「老舗の山の手」とも呼べる街なのだ。ブランド住宅地は幕臣たちの住んでいた屋敷に加え、有力外様大名の上屋敷や中屋敷、下屋敷跡周辺にも広がっていきました。

大名や武士たちは、地震や津波、台風などの自然災害に強い高台を選びそこに住んでいました。従ってこれらの街の多くが高台に立地していたのも特徴です。

関東大震災がきっかけで開発された新しい高級住宅地

明治以降の東京は急速に人口が増加するにつれ、住宅地も西および南に広がっていきます。

特に1923年に発生した関東大震災で東京は壊滅的な打撃を受けますが、被災した人々を新たに安全な高台に誘導するために新たな住宅地が開発されていきました。

渋谷の松濤や富ヶ谷、桜新町や深沢といった街です。また、昭和期以降は新しい高級住宅街として品川の御殿山や、池田山といった住宅地が開発され、島津山、花房山、八ツ山とあわせて城南五山と呼ばれ、今でも品川区内での高級住宅地として知られています。

さらに鉄道会社が東京の郊外に電車を走らせその沿線に高級住宅街を開発していきました。東急線の田園調布や久が原、等々力、小田急線の成城学園などが代表的なブランド住宅地です。これを現在の東京23区で考えると、ブランド住宅地と呼ばれる街は、新宿区、千代田区、港区、文京区、世田谷区、品川区、大田区、渋谷区、北区にほぼ絞られます。そしてやはり、そのほとんどが「高台」に立地しています。

スマホで土地の歴史をチェックしてみましょう

東京で住宅を買う場合、東京の古地図を見ることをお勧めします。古地図はこれまでは該当する区役所や図書館などに足を運んで閲覧しなければならなかったのですが、最近は古地図関係のアプリが簡単に手に入る時代です。アプリを使えば、江戸時代から明治、大正、昭和の街の変遷がよくわかります。そして多くのブランド住宅地は、その昔、大名の屋敷が軒を連ねていた場所なのです。

古地図から、解る事は、結構あります。

三田、高輪、品川あたりは、おしゃれな町だと思う読者も多いと思いますが、実は構造としては東海道第一の宿である三田・高輪、品川は、江戸の境界線にあたります。(境界線とは赤破線の部分にあたります。)

境界線にあたる土地には、ある共通点があることがあります。この辺りは「残穢(ざんえ)が残る土地」だと昔から伝えられています。残穢の残る土地とは、怨念やら情念が溜まっている土地という意味で、なぜか、商売がうまくいかない、儲からない、物件の持ち主が変わるといった現象が起きてしまうのです。

そんな場所には、刑場だった場所、身寄りもわからずに供養された無縁仏の墓、女郎の墓が多くあったことも共通しています。「江戸払い」の刑を受けた罪人にとっては、品川も、戻りたくても戻れない江戸との境目だったのでしょう。

そんな事もあり、ブランド住宅地であったとしても、土地の歴史を調べるのは結構大事です。(私のようなチマチマ投資家は、失敗したく無いので、全て調べます。)

東京の「ブランド住宅地」がたどった3つの歴史

江戸時代は江戸を守る旗本や譜代大名の屋敷が江戸城の近辺に配置され、そこからやや離れた高台に毛利や島津、前田、伊達といった外様大名が屋敷を構えていました。そして位の低い町人たちは、おもに江戸城の東の下町に居を構え、河川や運河に運ばれてくる物資を取り扱っていました。

東京のブランド住宅地の歴史は、まず江戸城近隣の旗本、譜代大名の土地が維新政府に接収されて関係者が住むブランド住宅地となったところから始まり、それから周辺部の外様大名の屋敷跡が新たなブランド住宅地に加わり、さらに人口増に伴って鉄道会社等が沿線開発を行う中で新たなブランド住宅地を作り上げていったというおおむね3つの歴史的段階を踏んでいます。

アクセスで人気を博した湾岸エリア

昨今、都心居住となって湾岸エリアで開発が進み、タワーマンションが多数建設、分譲されるようになりました。もともと工場や倉庫街で、分譲初期の頃は都心部としては比較的手軽な価格であったために、都心へのアクセスが注目され人気を博しました。そして湾岸エリアでも月島や豊洲、勝どきといった街を「ブランド住宅地」と呼ぶような動きも出てきています。しかし、街にはその街が持っている歴史というものがしっかりと刻印されています。ブランド住宅地にはブランドたりうる歴史が隠されているのです。高層建物を建てて、豪華な共用部や内装を設えても、建物自体は時代の変遷とともに劣化していく存在にすぎません。

浸水で孤立した武蔵小杉や二子玉川のタワーマンション

湾岸エリアが新たなブランドを形成するにはいまだ「力不足」の感は否めません。

実際、今でも東京に住み慣れた、富裕層の方々は物件を購入する際、土地の歴史を調べ、高台の物件を購入します。晴海や天王洲のような湾岸タワーマンションを買うのは「東京を知らない地方出身者と外国人」というのが不動産業者の間では定評。

どんなに立派な建物を建てても幾多の自然災害やウクライナに代表されるように戦争などの人為災害によって建物の命は果ててしまうことになります。記憶に新しいと思いますが、去年の台風で二子玉川や武蔵小杉のタワーマンションで全棟停電・エレベータ―が止まり、電気も水道もエレベーターも長期間使えず、悲惨な光景に人々は声を失ったはず。

この土地も、歴史では自然災害に弱い土地なのです。なので、決して安い買い物で無い不動産売買の際には、不動産の価値は結局、土地で決まってしまいますので、事前調査は気の済むまで、行ってください。



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